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ひでひでた
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今更ながら
気持ちってものが大事な訳で。
 それはもちろん楽しいとか悲しいとかを指すこともありますが、今はもう少し違う意味で使います。例えば積分をするときに逆置換法ってものを利用する時がある。これは名前の通り変数の逆数を新しい変数として置き換えて積分する技術のことです。問題があって解答を見れば「逆置換法を用いよ」みたいなことが書いてあってその通りにしていれば計算は滞り無く進むと。それを暗記してしまえば類題に当たったときには全く困らず対処できるでしょう。
 けど、その暗記には「気持ち」を読み取る努力が抜け落ちていると思うのです。つまり、なんでそんな置き換えをしたのか理解しようとしていない。何か行動を起こすときには必然性というものがあるはずで、逆置換を使うときなんてのもやっぱ意図がある訳です(この場合はとにかく自分の知っている簡単な形の積分に帰着させたくなった結果がこういう置換だったということ)。
 それが身にしみて理解できるかどうかを大事にしたい。身にしみる、ってのが肝要なんだと思います。頭で分かる、考えたら分かる、というのとは次元が違うのです。頭で分かる云々の状態ではふと問題に出会ったときに道筋が浮かんでくるということがないのでしょう。だから本を読んだりしていてもいったんそれから離れてまた無心に見直してみるプロセスが必要です。
 本質を理解する、発想を身につける、というのは多分そういうことです。

 …まあそりゃあそうだろうが、どう考えてもこんなこと高校とか中学の段階で気づいているべきだよなぁ、と意味も無く後悔してしまう。

 追記。
 最近、創造的行為をどのようにして達成するかとか本質やら理想やらがどうとかいろいろと書き散らしているが、結局は自分が普段行動する中で具体的にどうすればいいのかというレベルまで落としてこないと全く意味が無い。頭の中で考えているだけってのは単なる哲学であって、例えば理想の社会についていくら述べてもそれが実際に社会に反映されなければ所詮は机上の空論に終わるように、行動が伴わなければこの現実世界とはほとんど関係しないんじゃないか。
 変に気負ってしまうと気持ちが固くなってパフォーマンスが悪くなるし、ひとまずは目の前にある本が何を言っているのかちゃんと理解しようとすることを繰り返そうと思う。
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ひでひでた
物理   0 0















 

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