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ひでひでた
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伝統芸能
道具の扱いに習熟している事は自由であるための重要な条件だな、と思う。
 物理をやるときの数学然り、新しく実験をするときの既知の実験への理解の深さ然り、外人と話すときの外国語の堪能さ然り。ランダウが言っているのはそういうことじゃないのかな。
 僕が普段からお世話になっている細胞生物学者は、「実験てのは伝統芸能ですから」とよく言う。強いこだわりを持っているようにすら見える。「あるべき器具があるべきところにあれば自然と体が動く。もし何かズレがあれば自然と間違いに気付くし、実験の再現性も高くなる」。確かにそうなのかもしれない。
 彼自身がどう考えているかはともかく、僕はこの言葉を初めに述べた意味で解釈したい。伝統とはつまり、代々行われてきた実験に共通している精神・身のこなしの中にあって変わらず普遍的であり続けるもののことだ。それを習得して初めて自由に創造できる。だからこそ伝統を引き継いでいくことが重要だ、ということではなかろうか(だとすれば、この意味でゆとり教育は過ちを犯している)。
 今日の今日まで、伝統なんてのは正直古くさくて固定されたもので創造性とは対極にある嫌なものだという印象しかなかった。けれど、延々とコードに向かっているうちに、いつの間にか腑に落ちてしまった気がする。彼の言葉をようやく自分なりに消化できたというか。
 とはいえこんな事今更理解したのかという感もある。学部の勉強を真摯に行ってくればもっと早く気付けたんじゃないのか?……まだまだ全くの未熟者だと反省した。

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ひでひでた
人生   9 0

夏には何かと思い出がある
朝も早くから半裸で計算中。人様には見せられない光景。

 うーん、それにしても、この暑さといい数値計算といい、3年前にやった原子核物理の実験を思い出すなぁ。当時は大阪にある大学附属の原子炉まで行って友達と二人で磁気モーメントを徹夜で測り、修士の学生さんに助けてもらいつつデータを処理したのだった。あのときの学生さんのパソコンは出たばかりのVistaで画面がきれいだと思った記憶がある。いつの間にか僕も同じ年になってしまった訳か。
 で、そのときの友達とは原子核の卒研でまた一緒になって、新しい仲間も加わって1年間いろいろ一緒にやったのだった。初めは結構ギスギスしていたものだったけど、もうそろそろ終わりが近づいてきた1月や2月にはすごく仲良くなっていて、理論を担当するやつやシミュレーションをするやつに分かれて120ページの発表スライドを作ることが出来た。あのときは僕も少しは数値計算をしてデータを出していたけど、当時感じていたワクワク感の由来は仲間との一体感みたいなものだったと今になって思う。
 さらに時間をさかのぼれば高校時代の夏の文化祭準備でパソコンを打っていた光景も浮かんでくるのだけど、まあその話は置いておきます。
 なんやかんや書いてきたけど、自室でキーを叩いている現状はちょっと寂しい、なんてことをちょっと言いたかっただけです。解析自体は進んでます。やっぱ研究は一人でやるもんではないなぁ。わいわいやりたい。
ひでひでた
人生   0 0

ああ、そうだよな、ちゃんと形にしないうちは「あれは自分が考えたのと対して変わらないな」といくらでも言うことができるよな。だってそれは信じられるか否かの問題であって決着はつけようがないもんな。反省。
ひでひでた
人生   0 0

意識の散逸
畜生…こんな状態では僕は何者にもなれない……
ひでひでた
人生   0 0

多くのことに興味を持ちたい
冷たい雨が降っています。今日はとても寒く、ちらほらと雪が舞うこともありました。

 最近『アルジャーノンに花束を』を読んでいます。この本は有名なので以前から知っていましたし、例えば東野圭吾がこれを題材にした短編(というかパロディー)を書いたのを読んだこともあって興味がありました。主人公のチャーリーが書いた経過報告を通して物語が描かれていくため、その知能の変化に伴って文体も変わっていくのが面白いと思い英語版と日本語版を両方買いました。今は日本語の方を読んでいますがそのうち原書にもトライしてみようと思っています。

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ひでひでた
人生   0 0

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